こんにちは、博士(ハクシ)ちゃんです。
ブログにご訪問いただき、ありがとうございます。
前回までにぼくが中卒になった経緯を一通りお話ししましたが、今回はその後日談です。
高校を中退して上京した夫・カイが、その後どうやって都会の荒波の中で生きていったのかについて、お話しします。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
カイ、ガンズのコピーバンドを結成する
さて、「高校を中退して、東京の楽器屋でバイトしたい」というささやかな夢をかなえるべく、実際に上京して来たカイさんですが、楽器屋さんの求人は18歳以上のみであることが判明して途方に暮れました。
そして16歳でもバイトできるところを探し、新宿のマクドナルドでバイトを始めました。(詳細は前回のブログをご参照ください。)
ところでこれも前回のブログに書きましたが、カイさんは昼間はギターの学校に通っていました。
そこはカイさん曰く、
一応◯◯ミュージックスクールみたいな名前で、一見専門学校のように見えるんですけど、専門学校とは違って学校法人ではなく、実質ギター教室だった
とのことで、1年分の学費(レッスン料?)を先払いし、制限回数はあるものの行ける時に予約をして行くというシステムだったそうです。
教習所みたいな感じですね。
で、ここで仲良くなった人達とガンズ・アンド・ローゼズのコピーバンドをやることになりました。
それまではずっと1人でギターを弾いているだけだったので、実質これが初めてのバンドでした。
そしてこのコピーバンドが、カイさんの運命を大きく変えるのです。
(と云うとなんだか大袈裟ですが。)
カイ、大学生達と仲良くなる
ある日カイさんはガンズのコピーバンドのメンバーに誘われて、ライブハウスにライブを見に行きました。
その日はいくつかのバンドが出演していて、そのうちのとあるバンドの人達を話すうちに仲良くなりました。
それがO先輩のバンドだったんですよ。
なんと!そういう繋がりだったとは・・・
※ O先輩とは、私(ハクシ)の大学の先輩であり、私にカイさんを紹介してくださった方です。
O先輩のについては、こちらのブログで詳しくご紹介しております。
当時O先輩は大学生で、大学のサークルのメンバーとバンドを組んでいて、都内のライブハウスで活動していました。
のちのち私もこのサークルに入ってバンドをやることになるのですが、この時はまだ高校2年でしたので、上京すらしていませんでした。
私とカイさんは同い年ですが、カイさんの方が高校を中退した分、私よりも2年早く上京しています。
カイさんはこの日を境に、O先輩の大学の人やその周辺の人たちと仲良くなっていきました。
数奇なことにO先輩の大学(すなわち私の出身大学でもありますが)というのは、カイさんのお父さんの出身大学でもあるのです。
高校を辞めた時に、心のどこかで「もしかして今後自分はヤンキーになるのではないか」と思っていたんですけど、東京に出て来て大学生と仲良くなるとは思っていませんでした。
ヤンキーとは全くつるまなかったの?
一瞬つるみそうになったけど、僕がぼーっとしているせいかヤンキーの人たちのテンポについていけなくて段々疎遠になってしまいました・・・
ヤンキーってコミュ力高い人が多いので。
なるほど、ご縁がなかったんですね。
ところで、カイさんとO先輩が知り合ったのはライブハウスですが、私とカイさんも若かりし日に初めて会ったのはライブハウスでした。
こうして考えてみると、ライブハウスってなかなか良い出会いの場なのではないかと思います。
実際に対バン同士はもちろんのこと、なんとなくお客さん同志も連帯感がありますしね。
カイ、インディーズバンドを結成する
それから数年後、カイさんはO先輩の知り合いとバンドを結成します。
この頃にはもうギターの学校も修了していて(学校法人ではないものの、1年のコースを通うと「修了」と言われたそうです)、ギターも大分上達していました。
当時は毎日8時間くらい弾いていたので、それだけやれば誰でも上達しますよね
8時間!!!
なんだか仕事みたいだな
バイトと睡眠以外は、ほとんどギター弾いてました。
今思うと大後悔です・・・
そんな、それだけ打ち込めるものがあったのは凄いのでは
やがてカイさんのバンドはそこそこ有名になり、ほんの少しですがテレビやラジオなどに出演したり、CMやゲームなどのタイアップもしました。
カイさん個人としても、有名アーティストのツアーミュージシャンをやりました。
音楽活動の合間に、大学を卒業したO先輩が仲間と立ち上げた会社でバイトをさせて貰っていたそうですが、正直生活は大変で、
バンド活動で経済的にマイナスになることはなかったけど、大きくプラスにもなりませんでした。
しかも「自称・ツアー(実質どさ回り)」みたいのをやたらやっていたのでバイトもロクにできず、生活は苦しくなる一方でした・・・。
もうその頃には上京時の「楽器屋さんでバイトしたい」という夢もすっかり忘れ去っていて、
「もっと普通に安定した仕事がしたい」
と切実に思っていたとのこと。
でも他のメンバーもいるので辞めるにも辞められず(基本的に気が弱い)。
苦しい生活をしばらく続けた後、20代の終わり頃にやっとバンドを脱退して仕事中心の生活に切り替え、音楽活動は趣味としてやることにしたそうです。
「人に歴史あり」と云うけど、そんな経緯があったんですね。
音楽活動には悔いはないけど、人生自体には悔いだらけです。
でも結果的に今は幸せなので、まぁ良いか。
と本人はしょっちゅう言っていますが、若い頃に好きなことを全力でやり切った人は、例えそれが上手くいかなかった場合でもその後の人生を割とサバサバと楽しそうに生きていることが多い気がしていて、私はそういう人たちが持つ独特の雰囲気が好きです。
何かをやり切った充実感に自分の限界を知っている諦めと賢さが共存して、なんとも言えない魅力を感じるのです。
私がカイさんに惹かれたのも、この独特の雰囲気を纏っていたことが大きい気がします。
九鬼周造は「いきの構造」の中で、いき(粋)とは「諦め」「媚態」「意気地」から成り立っていると言っていますが、若い頃に好きなことを全力でやり切った人が持つ独特の雰囲気というのは、まさにこの「いき(粋)」そのものですね。
定年退職したお年寄りが持つ雰囲気とも、なんとなく似ています。
そう考えると今のカイさんは、ある意味ではとても長い老後をのんびりと楽しそうに生きているのかも知れません。