こんにちは、博士(ハクシ)ちゃんです。
ブログにご訪問いただき、どうもありがとうございます。
前回から私・ハクシの過去についてお話ししていますが、今回はその続きです。
前回の記事は、下記のリンクからアクセスできます
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ハクシ、キリストの実在性を疑う
小学校1年の時、日曜日の朝早く目が覚めた私は、突然
「イエス・キリストって本当にいたのかな?」
と思いました。
もしも本当にいたのだとしたら、後世にまで多くの人たちに多大な影響を及ぼしていてものすごいことだな、と思ったのです。
もちろんまだ子供なので、もう少しもやーっとした感じでそう思ったのですが。
そこで隣の布団で寝ていた母を無理やり起こし、キリストは本当にいたのかを質問してみました。
休みの日の早朝に面倒臭い質問で起こされた母は、半分眠ったまま
「偉人伝読みな」
と言いました。
もっとも母は覚醒している時でも基本的に私の質問には答えず、自分で調べろというスタンスでしたけども。
この「偉人伝」というのは、親が姉に買い与えたにも関わらず全く使用されなかったものの1つで、20冊のセット本でした。
その名の通り古今東西の何かを成し遂げた人達の伝記集で、一冊に4人分の伝記が載っているのでそこそこ分厚く、しかも表紙にも中身にもほとんど絵がないので、子供にはなんとなくとっつきにくい様相をしていました。
案の定、姉には1ページたりとも開かれることはなく、子供部屋の本棚に未開封のまま保管されていました。
母曰く、なんでも突然やってきた訪問販売から買ったそうで、そこそこ高かったらしい。
この高いお金を払ったのに全く読まれなかった偉人伝は、私の親が子供に教育にお金を使うのを辞めたことの理由の1つでした。
姉が1ページも読まなかった偉人伝。
子供心を挫くには十分な、愛想のない緑色の表紙の分厚い本。
私もずっと「あれは自分とは関わりのない物体だ」と風景の一部として認識していましたが、この時はどうしても
キリストは実在していたのか?
という探究心・・・というよりも好奇心に勝てず、布団から這い出て子供部屋に行き、たくさん並んだ偉人伝の背表紙の中から「キリスト」の文字を見つけて引っ張り出しました。
偉人伝との出会い
食わず嫌いで警戒していた偉人伝ですが、いざ読んでみると敬体で書かれており、漢字も難しいものにはルビが振ってあり、意外と読みやすいことに気付きました。
だからすんなり読むことができたのですが、結局キリストが実在していたのかは分かりませんでした。
馬小屋で生まれたというのは現実的でしたが、死んだのに生き返ったあたりから非常に混乱し、お伽話みたいになって来たので非常に腹が立ったことは覚えています。
この人が本当にいたのか・それともいなかったのかが知りたいのに、通常の生物ではありえない設定にされているために、ドラゴンや吸血鬼のように存在そのものが怪しくなってしまって、さっぱりと事実が分からなくなっていることに憤りを感じたのですね。
とは云え何せまだ子供だったので、
「多分殺されるまでは大体本当のことで、生き返ったあたりからは嘘なんだろうな。」
と勝手に解釈して、その後は忘れ去りました。
で、それはもうどうでもよくなったのですが、何せ偉人伝には1冊に4人分の伝記が載っているので、他の人のも読んでみました。
ファンタジー仕立てのキリストの回から入ったせいか、他の偉人の現実味のあるお話はとても面白く、すぐに夢中になりました。
何日かかけて20冊全巻を読み終えた後も、しばらくの間お気に入りの偉人のエピソードを繰り返し読み返しました。
ハクシ、偉人伝に影響を受けまくる
メディアから断絶されていた中学生のカイさんが、ラジオから流れてきた洋楽に衝撃を受けたように、学問的なことから断絶されていた私は、初めて読んだ本・偉人伝に強烈な印象を受けました。
そして洋楽に衝撃を受けたカイさんがその後ギターに没頭したように、私も当然のように
死んだ後に伝記にならなければいけない
と思うようになったのです。
しかも私の場合、カイさんが音楽に衝撃を受けた時よりもずっと小さかったので、もっと無条件に脳に刷り込まれてしまい、その影響力は絶大でした。
何かをする時の判断基準は↑の「死んだ後に伝記になるにはどうすれば良いのか?」になってしまいました。
良くも悪くも。
例えば、夜早く寝るように促された時にも
「二宮金次郎は夜遅くまで起きて本を読んでいて伝記になったから、ここで屈して寝ては伝記になれない」
と理解不能な思考回路で判断し、こっそり遅くまで起きて本(もちろん偉人伝)を読んでいたり。
こんな風に、生活の細かいところまで偉人伝の影響を受けてしまったのでした。
洗脳されるのって、もしかするとこんな感じなのかも知れません。
長くなったので、次回に続きます。